親バカ の 息子自慢


コンクールに出るとかで 自宅の防音室で息子に演奏を聴かせてもらった事がある。 かつて 高校時代、彼の専攻はサックスで、日本を代表するサクソフォン奏者に教えて頂いていた。 すでに 大学生になっていた息子だったが、コンクールにはサックスで参加との事。 頑張った自負も、うまく吹けている自信も あっての 親への披露だったと思う。 オヤジが、多少無理強いした感はあったとしても。

はい、お上手ですね。 という、ただそれだけの演奏であった。 確かに破綻なく指は動いていたかもしれない。 テクニック、上達したなぁ、とは思った。 課題は2つ。 ただ、だらだらと続くだけの、アクセントも強弱もテンポも、区切りとなる小節感も不明な演奏だった。 あのねー、自分のイメージの10倍か100倍くらいダイナミクにやらないと 客席には届かないんよ。 pp は 聴き取れないくらいでいいんだよ。 お客さんは それでも聴き取ろうとするから 受け止めてくれるんよ。
さらに致命的な事には、サックスという楽器の音色のリファレンス感が一度も出てこない、感じられない、そんな演奏だった。 息子よ、聴衆はキミの演奏を聴きに行くのだぞ。 キミという人間をを聴きに行くのだぞ! テクニックは、時としてキミを助けてくれるかもしれないけれど、聴衆は君のテクニックを聴きに行くのではないのだぞ。

いくつも指摘すると混乱するだけなので、ホルストの火星を例に挙げ、テンポの事だけ言わせてもらった。 キミのは、三拍子と二拍子が交互に出てくる感じが 全くしないよ。 まるで、全体で1小節の曲みたいだよ。

頑張った自負があった彼だから、 この、全くの素人オヤジの言葉は厳しかったらしく、 憮然として、いろいろ つべこべ言っていた。 でも、残念ながら事実はそれだけなのである。 覆水盆に返らず。 一度演奏してしまったものは、あとで いくら言い訳しても、その言い訳は 聴衆には届かない。 時すでに遅し。 手遅れなのである。


あれから 2年? 3年?  現在は作曲が専攻の彼が、院試のために作った曲を送ってくれた。 サックス4本を、自分で吹い ( 生演奏し ) て多重録音したものである。

Basso Ostinato for Saxophone Quartet

私の課題は見事クリアーされていた。 その、小節が前へ突き進んで行く感じが 大変心地よい。 彼らしい浮遊感とか ひょうきんさ も抑制されたなかに確かに存在している。 聴衆へのトラップも仕掛けてある。  さらには、 「 あぁ、これがサックスの音なんだろうなぁ 」 という音色が届いてくるのである。 音のつながりが自然だ。 頭蓋骨をタンギングやポルタメントが ごりごり 攻めて来る。 サックス専攻時代のプレッシャーというか、肩の力の抜き方を、息子はようやく会得したようなのである。 サックス専攻ではなくなって ( やめて? 諦めて? ) 、息子はサックスが確実に上達した。 これなら 他人様にも 聴いて頂けるぞ! 息子に大拍手!   息子は、かつても今も、小生意気な クソガキ である。





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